年譜

山口時代(1981−1990)


1981年 (昭和56年) 35歳

3 月30日, 一家三人で津和野旅行. 4 月, 宇部短期大学専任講師 (一般教育. 1989年 3月まで). またこの年より山口大学人文学部でも非常勤講師としてフランス語を教える (2002.7まで). みづほは土曜日の午後および日曜日をのぞいて旭町の山口保育園にあずける. そのため話し始めていたフランス語をむしろ忘れて山口弁を習得していく. 春, KDD のカナダ人職員スカリ氏夫妻 (夫人ブリジットは南仏出身) と時々会ったり外出したりするようになる. 6 月27日, みづほと渡仏 (帰国は 9月12日).彼女は山口弁を忘れて, ふたたびフランス語を話すようになる. 帰国後保育園ではしきりに泣く. 10月3-5 日, 一家三人で青海島へ自転車旅行.途中秋吉台で1泊.

1982年 (昭和57年) 36歳

1 月4-6 日, 演劇サークルの九重での合宿にみづほを連れて参加. 6 月29日, みづほと渡仏. 7 月下旬に合流した夫と三人でトゥールーズやトゥールトゥール (演劇学者ドニ・ゴンタール教授の家に泊まる) などに旅行. 8 月末に帰国. この頃より東京日仏学院よりフランス映画を借り, 月に一度の「社会人」にも開かれた映写会 (簡単な紹介, 映写そして討論) を土曜日の午後山口大学の大教室でおこなう. 負担すべき送料の捻出のため, 会員には入会金 1, 500 円を, そして各映写会ごとに 100円をはらってもらう. これはよくつづいたが, 数年後フィルムの送料・返送料のみならず貸借料まで必要になったので会を止める. 同じくこの頃より宇部短期大学の江木鶴子, 堀田雅子など友人たち, 子供や夫と一緒に山口の数多くの山に登る. 後には飼い犬も連れて. これは長年にわたりつづく.

1983年 (昭和58年) 37歳

4 月15日, 長男寛・アドリヤン, 日本赤十字山口病院 (八幡馬場 53‐1)にて生まれる. 7 月11日, 一家四人で渡仏 (9 月 2日まで).帰省先のモンペリエで高校時代の哲学教師イヴォンヌ・リシャールと再会. 「私たちは,(高校時代以来) 時間がまったく経過しなかったかのように, 私たちの対話を続けたのでした」(2003 年 3月のリシャール女史の書状). 子供二人の保育園への送り迎えの便宜のために, モンペリエの自動車学校で車の免許を取得する.

1984年 (昭和59年) 38 歳

みづほに週一回カワイピアノセンターでレッスンを受けさせる (1990年 5月まで). 3月16-19日, 一家で別府,耶馬渓および国東半島を旅行. 最初の車での旅行であった. 4月29-30日, 同じく津和野, 益田, 徳山に旅行. 5 月 3日, 津和野で聖母行列をみる. 7 月 6日, みづほと寛をつれて渡仏 (9 月 5日帰国).

1985年 (昭和60年) 39 歳

4 月, みづほ山口市立大内小学校に入学. 左利きであったが,八木教諭に勧められて右手で書く練習をする. 7 月19日, 一家四人で渡仏. 10日間のポルトガルへの旅に出る夫とパリで別れ, モンペリエに向かう. 8 月の 2週間を父母と東ピレネ県のレ・ザングルの貸家で過ごす. 読書, 山歩き, 育児. 母ジュリエットは体調が悪かった.8 月29日帰国. 9 月22-23日, 川棚温泉に一泊旅行.山頭火の泊まったという宿に宿泊.

1986年 (昭和61年) 40 歳

1 月31日, モンペリエの母病気のため, みづほを伴い渡仏 (夫と寛は 3月 3日から). 一ヵ月の間みづほを,母の知人が校長をしている近くの小学校の一年生のクラスに体験入学させてもらう. 4 月 3日に帰国. 7 月18日, 母の看病のためみづほを伴い再び渡仏. 8 月母死去. 8 月28日帰国. 10月12日, 山下高之・桐原あつ子の結婚式で夫とともに媒酌人をつとめる.

1987年 (昭和62年) 41 歳

春, 子供たちが若い捨て犬と親しんだため, これをポチと名づけて飼う (2002年初めまで). 4月, 宇部短期大学付属図書館運営委員会委員 (1989. 3 まで). 5月12日, 学術振興会の基金で来日したモンペリエのジャック・プルースト教授, 山口大学で講演. 旧師に再会する. 7 月20日, 渡仏. パリでの学会に出席する夫とは空港で別れ, 子らと共にモンペリエに飛ぶ. 7 月24日, 父および子らとイギリスに出発. 夫とはロンドンのヴィクトリア駅で落ち合い, 夜行バスでスコットランドにむかう. バルメリノの村のミュアー氏の家に住み, エディンバラ, インヴァーネス, セント・アンドリュウ, 湖, ニュー・カースル, ( かつて滞在した) ダーラムなどを訪れる. 8 月14日モンペリエに帰着. 兄弟姉妹の家族との出合い, 海水浴, 談話... そして母の姉の一家の住むミュラでの食事. 蔵書を子らに分配する父から, 夫への分も含めて多数の書物を受け取る. 8 月28日帰国. 秋, 山口の文化センターで数ヵ月にわたって中国語を学ぶ.

1988年 (昭和63年) 42 歳

2 月16-17日, この頃, 山口大学人文学部の非常勤講師控室で出会う人々の談話から, 山口「賢人会」が発足する. その第一回の合宿で百田みち子, 波多江忠彦, 岩田啓靖らと湯田のホテルに泊まる. この会は年にほぼ二回集まったが, 専門にとらわれない自由でかつ高度に知的な談論風発の雰囲気をよろこび, 岡村和美, 武市, 政所その他の諸氏とともに常連の一人となる. もっとも会は次第に「読書」サークルになっていく. 3 月31-4 月 3日, 同僚江木鶴子, 堀田雅子らと阿蘇旅行. 7 月18日, 家族で渡仏. 夫をパリに残し, 子供二人を伴って弟ジャックの家族の住むストラスブールに滞在する. みづほ (後にジャック一家と一緒に合流する) を残し, 25日モンペリエのフレジョルグ空港に着く. 8 月 1日より 1週間ラルザックにあるコルニュスなる人口 600人の村に滞在. 兄弟姉妹の家族, 親戚, リュシエンヌの家族も合流しあるいは訪ねてくる. 散歩, 山歩き, 読書, お喋り. 羊の牧場やロックフォールのチーズ製造所を見学. その後モンペリエで生活する. 町の見物, 読書, 美術館, 海水浴, 映画, 知人の教授訪問など. 寛の振舞い方 (朝食やおやつに果物を食べたがること,これはフランス人の習慣ではない. 冷蔵庫を開けること、これは行儀が悪いとされる. 騒ぎ, 不従順など) を, 言語を話せない 5歳の外国人の心理状況が想像できないイーヴ, ダニエル, セシルらに親の放任主義教育のせいだと批判され, 口論. 8 月31日帰国.帰国後しばらくの間, 寛は保育園で口をきかず, しきりに泣く. 秋‐冬, この頃かなりの数の若い男女― 美術家, 文学研究者, ジャーナリストなど―とともに山口在住の古川健とその夫人であるイギリス人ジュリー・ステュワードの所で時々パーティや春は花見をたのしむ.

1989年 (昭和64年=平成元年) 43 歳

2 月11日, 城清宝・西野満代の結婚式 (博多区住吉会館) に夫とともに媒酌人をつとめる. 4 月4-5日,堀田家の人々,江木鶴子,家族とともに車で雪の残る大山へ旅行する. 宇部短期大学助教授 (2002.3まで). 7 月17日, みづほと寛をともない渡仏. モランヴィリエの兄夫婦の家, 次いでナントの妹一家を訪れたあと,モンペリエで過ごす. そのあと司書職の研修でベルギーに行く義理の弟ジャン= ジャックにセシルとともに同伴し, 数日間ブリュッセルに滞在する. 8 月26日に帰国.

1990年 (平成2年) 44 歳

3 月22-30日, 江木鶴子らとインドに旅行. 4 月10日, 寛, 山口大学教育学部付属小学校に入学. 8 月, 子らとともにフランスに滞在. 9 月15日, 夫パリに私費留学 (1991年 8月まで) のため, 子らと暮らす. 12月21日, みづほおよび寛とともに渡仏. 夫に合流し, パリで数日過ごした (美術館や博物館見学, プルースト夫妻との会見, 夫の元教師ゴーティエ氏訪問) あと, 南仏に滞在 (兄弟姉妹や知人との出合い. アヴィニョンやカルカッソンヌ訪問).
1月 3日にはパリにもどり (植物園見学) ,6 日, 夫を残して帰国.