No.145 琴崎八幡宮(大正中期以前) |
(出典)絵はがき 長門宇部 |
説明 ・琴崎八幡宮が今の土地に建てられたのは南北朝時代、厚東氏が滅びて大内氏が始めるようになった頃。 ・縁起によると貞観年間(800年代)、大分の宇佐八幡宮の神を京教の雄徳山にうつそうと航海しているとき、荒波にあい難を逃れるために宇部の海岸に着いた。 ・その後、出発の時に幣を残していった。里人たちはその場所に祠を建てたという。のち、厚東氏7代の武光の時 西宮に移された。 ・大内弘世の時代の永和3年(1377)御神託によって、現在の琴崎の地へ再び移された。 ・元禄10年に神殿を造営。 ・祭神は、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后、それに宗像の三女神。 ・境内には薬神社や稲荷神社・宮地獄神社などの小神社なども祭られていた。 |
作成者/冨永恵 |